ゲストNO, 23641

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2011年5月11日更新

東日本大震災から2ヶ月

空撮
まきば線工事進捗
成田空港



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東日本大震災 3月11日から2ヶ月

未だに
行方不明者1万人弱
避難所生活者11万人
自宅での被災生活者も多数


ゴールデンウイーク
東北へ入られたボランティアの皆様
お疲れ様でした


ゴールデンウイーク以降
現地ではボランティアが激減しているとか

時間と心に余裕が出来たら、、、、
先ずは、気軽に日帰り参加でもしてみませんか?

仙台、一関、盛岡の他
東京、埼玉、栃木、山梨、長野、静岡、三重、和歌山、島根、岡山などから
ボランティアバスの運行が始まっています

ボランティアバス



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黒澤さんのブログ
続・雨にも負けず
文字をクリック!




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忘れちゃいけない

自衛隊の皆さんも日夜ご苦労様です
全国から動員されている警察官の皆さんお疲れ様です





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人様に
「ボランティアへ行け!行け!」

扇動しながら




ゴールデンウイーク
目一杯の息抜きしてました




2ヶ月ぶりのモーターグライダーで



鉄道ごっこをしている「羅須地人鉄道協会・まきば線」上空を
空撮&訓練飛行


2010年4月8日                           2011年4月28日

一年で駅構内工事も大分出来上がりました
車庫につながる線路が敷かれ、ホームまで出現

とっくに中高年なのに、気がついていない??
夢を追い続ける万年大学生
もの凄い連中です



圧倒されながら作業に参画しています

最近
体力的にきつくて 少々さぼり気味

何せ
100kg以上もある物でも
「4人でやれば、、、」等と
平気で言い出して
人力移動




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帰りに成田空港上空を通過

教官殿が絶えず管制塔と交信
私は2000ft維持して無線は聞いてるだけですが
ちょっとラインのキャプテン気分

管制官の指示で
進入を一度やり直したものの無事上空通過
良い経験になりました

地上の離陸機渋滞は私のせいではありません







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2011年5月21日更新


東日本大震災から70日

気仙沼市
鉛温泉


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東日本大震災の被災地・気仙沼市


被災から70日も過ぎた筈の
市の中心部は
既に道路の瓦礫だけは撤去されていましたが
その他はまだまだ手付かず
港側では
重機や大型ダンプが動員され
地域全体が
スクラップ置場状態
ここに人々の平和な生活の場があったとは思えない

人影のない廃墟と化した街



駅舎に柱をへし折って流れ込み
折り重なって放置された数台の自動車
「廃車します、処分をお願いします」の貼紙が貼られていました



河口部分の橋は流されて
沿岸を結ぶ道は一部寸断されてしまっているものの
内陸部との連絡道路は通行が確保されている




復旧の目処の立っていないは鉄道

気仙沼線も
あちこちで線路が流されていました

津波に流された列車 <キハ48-552 + キハ48-1544>

40人の乗客は乗務員の誘導で避難
避難の直後に一気に押し流されたのだとか

この界隈では
全員避難して無事だったと
後片付けをしている方が教えてくれました



土台だけしか残らなかった家
1階だけ水に浸かった家
ここから50mの「セブンイレブン」は通常営業



人生の分かれ道は たった数メートル



これが
建てたばかりの我家だとしたら、、、、




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沿岸部、近郊の町の宿は
被災された方や、復旧工事従事の方々で満室
宿泊は
花巻市の鉛温泉自炊部


沿岸部から100km程離れていたのですが

ここも
大槌町、釜石市の避難所になっていて
数十家族の方々が避難生活を送られていました





この温泉は深さが1.3mもあり
立って入るのが名物とか
おばあちゃんが
「私ら背の低いもんは危なくて入れない」と言ってました
本当に深いお風呂でした


ここで出遭った
盛岡からの学校の先生
被災地で子供達の遊び相手をしているとか
「孤児となってしまった子供達を何とか地元で育てられれば」

ボソリ語ってました




昔ながらの客室


自炊部の共同台所
なつかしいコイン式のガス台がありました



ここには東北の湯治場らしい賑わいはありませんでした
多くの人が宿泊しているのに




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