2012年スペイン+αの旅 9
* * *
6月25日
月
セビリア(アルカサル、カテドラル) →国際バス→ リスボン(ポルトガル)
リスボン泊
スペイン最終日
朝の涼しいうちに旧市内散策
ホテルの周辺は
ユダヤ人街だったサンタクルス地区
行き止まりかと思える様な場所の先にも
すれ違えない幅の小路
頑丈な扉、不思議な壁
朝の遅い街がやっと動き出す
午前9時
カテドラルの脇の大通り 路面電車?
パンタは畳まれ架線も無い
バッテリーで走っている様子
単線? 複線?
* * *
アルカサル
イスラムの城をキリスト教の王が改築
キリスト教の王がイスラム職人を集めて改修
大使の間
緑豊かな庭園
乙女の中庭
キリスト教徒の王にとって
イスラム=アラブ世界が憧れだった様だ
現代社会のキリスト教文化圏からだと
イスラムは劣っている、遅れていると見えるだろうが
当時
キリスト教文化圏の課題は
イスラムに追いつけ追い越せだったのだろう
* * *
カテドラル
コロンブスの墓
棺を担いでいるのは4人のスペインの王
王が担いでいる??
スペインにとっては巨万の富をもたらした偉大な人物
彼がアメリカに辿り着かなかったら
その後 スペインが、、、
マヤやインカの文明が
西洋に都合良く説明されている
大航海時代の歴史
ヒラルダの塔
鐘楼の鐘 中庭
アルカサル
闘牛場
宿泊したホテル
* * *
スペイン出国のバスの旅
レンタカーでリスボンまで走りたかったのだが
国を超えてカーナビが借りられず
料金も超割高
列車の移動を考えたが
ポルトガルへ入れる路線はマドリッドへ戻るしかない
ネットで見つけた唯一の手段が長距離バス
曜日によって1日1〜2便
帰国し損なってはと出発前にネットで予約
既にEチケットが手元にある
ホテルにタクシーを呼んでもらい
プラザ・デ・アルマス・バスターミナルへ
Eチケットのままで乗れるのか
バス会社の窓口へ
チケットが再発行され
何やら「16」と書かれたカードが渡され
「22」「22」と言われる
多分
22番ゲートから乗車でシートが16番
やがて電光掲示板に
「LISBOA 15:00 22」の表示
22番ゲートでバスを待つ
続々
人が増えてくる
バスが到着
運転手が降りて来て「16」のカードを高く提示
何と
みんなが持っているのも「16」のカード
バスの乗車整理カードでした
自由席、先着順
ドアに殺到
トランクにスーツケースを放り込み乗車
バスは定刻15:00満席で出発
時々街へ降り
薄暗くて狭いバスターミナルに入っては客を拾う
スペイン・ポルトガルの国境 グアディアナ川
新しい橋で国境らしき物は何も無い
その後
高速道路をひた走る
退屈な道
それでも運転しなくて良い
&
ホテルの冷蔵庫で冷やしたビールが旨い
19:00過ぎ
サービスエリアのドライブインへ立ち寄る
皆がゾロゾロとバスを降りる
運転手は「40」、「40」と言っている
恥ずかしながら
かつて「50=fifty」と「15=fifteen」を間違えて
ドナウ川の最終連絡船を逃した苦い経験がある
時計の文字盤使って再確認
やっぱり「40分休憩」
運転手の食事休憩
それを横目で見ながら
つまみになりそうなサンドイッチを買ってビールを飲む
運転手の食事が終わると
みんなでゾロゾロとバスに戻り乗車
バスはリスボン目指して高速道路を北上
広々とした道路
ガラガラの料金所
長い橋を渡ってリスボンの市内に入る
2時間近く遅れていると思っていたら
スペイン・ポルトガルに1時間の時差
バスは40分程遅れて
22:00 (ポルトガル時間)
リスボン・セッテリオス・バスターミナルに到着
少し離れた薄暗いタクシー乗り場
乗ろうとしたら
1番前のタクシーに乗車拒否され
2番目に乗ろうとしたら
後ろに並んでいたタクシー運転手が数人やってきて
1番目の運転手と怒鳴りあい
紛争はお任せして
2番目のタクシーでホテルへ向かう
Hotel Avenida Palace
深夜に知らない街について
ホテルに入れないなんて事が無い様に
日本から予約した五つ星ホテル
フロントで「お待ちしてました、小林様!」
到着が遅かったとはいえ
いきなり名前を呼ばれたのは初めての経験
ロビーも素敵でした
部屋のベットサイドにはバトラー呼出ボタン
五つ星ホテルに泊まっているのですから
夕食は
当然
正装してメインダイニング
なのでしょうが
我家の流儀に反します
早速
ゴム草履に履き替えて街へ出る
路上にテーブルを並べる大衆食堂
イワシの塩焼き、シーフード○○○、、、、
リスボン 好きになりそう!
* * *
6月26日
火
リスボン→シントラ→ロカ岬→カスカイス→リスボン
リスボン泊
続く
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